過去の戦争展


2018年8月16日~19日

あいち平和のための戦争展実行委員会は、8月16日から19日まで市民ギャラリー矢田において戦争展を開催し、昨年を大きく上回る1890人の市民が参観しました。

今年は、市民ギャラリー矢田での従来の展示に加え、同会館内にある東文化小劇場で旧日本軍の731部隊をとり上げた「悪魔の飽食」の合唱会、原爆の実態をえがいた映画「ヒロシマ」の上映にそれぞれ会場満席の350名が集うなど、平和と文化のとりくみが、一体に行われました。また、旧日本軍「慰安婦」問題などをとりあげるシンポジウムも開催され、性暴力、性差別の問題も議論されました。

展示では、40団体から約620点の資料が持ち寄られ、うち110点はガスマスクや焼夷弾などの貴重な現物資料が展示されました。現物資料は、学生や青年など初めて訪れる人にインパクトを与えます。

また、この1年間の運動によって明らかになった説明資料などの展示や、大きな写真を使った展示などは見るものをひきつけるなど、各団体の努力が伝わる展示となりました。

海外との平和交流では、中国の欺満皇宮博物院や、南京民間抗日博物館の関係者らをはじめ、展示や講演会に参加し日本の運動とも交流しました。


2016年8月11日~14日

あいち平和のための戦争展は8月11日~14日まで名古屋市公会堂4階ホールにおいて開催され、市民1800人(昨年1700人)が集いました。1992年にはじまった戦争展は、今年で25回目です。団体の展示は充実しており、好評でした。特に①沖縄特別展②空襲記録③広島原爆ドームと巨大折り鶴のモニュメントを展示しました。①は、沖縄戦から現在の新基地建設に至るまでの展示を行いました。6・19県民大会や高江のヘリパッド建設阻止のたたかいが注目されました。②は、昨年豊橋、今年岡崎の自治体の空襲死者名簿の記録を新たにさせるとりくみなど、過去の問題でなく現在の問題となっています。③は、レゴブロックによる原爆ドームや厚紙で作成した折り鶴の展示が行われました。

講演会や企画も多彩に行われました。初日に行われた、朝鮮中高級学校の高校生による平和の合唱と、高校無償化の訴えによるオープニングイベントは、日本による戦争責任を考える機会となりました。国際交流も行われ、南京記念館館長をはじめとする日本、韓国、中国の交流(アジア太平洋・平和文化フォーラム)があり、また中国の偽満皇宮博物院副院長による講演会(日中友好協会)が行われました。戦争体験を聞く会も行われ、元海軍兵士、広島・長崎の被爆者、豊川海軍工廠空襲被害者などからそれぞれ貴重な体験を聞くことができました。子ども世代にも戦争と平和を考えてもらおうと絵本の読み聞かせコーナーをつくり幼児から小学校低学年を中心に好評でした。特徴的だったことは、安保法の強行による危機感が、老若男女から伝わりどこでも対話が弾み、時には長く展示コーナーで話す市民の姿が目立ったことです。展示内容の可視化、アピール力、企画内容の充実など、戦争の事実に迫りいっそわかりやすい展示会を作り上げることが課題となっています。


2015年8月20日~23日

「♪ぞうれっしゃよ急げ やみをさいて走れ」―今年で24回目を迎える「あいち平和のための戦争展」は、合唱構成「ぞうれっしゃがやってきた」(一部)に よるオープニングセレモニーで幕を開けました。原作者の小出隆司さんは、一緒に歌った子どもたちに目を向けながら「この子たちに二度と戦争の悲劇を味あわ せてはならない」と語気強くあいさつしました。

今年の「戦争展」は、8月20日~23日で、名古屋市公会堂4階ホールに40の団体・個人が展示ブースを開き、1700人が参加しました。
「2度と戦争をしない」の強い思いから、各ブースでは「戦争法案反対との論調が目立ちました。

近年「戦争展」では、若い人たちの奮闘が見られます。
金城学院中学校の生徒たちによる、広島への修学旅行で学んだことをまとめた「平和新聞」づくり(同じ平和新聞で親しみを感じます)。20日に会場を訪れた生徒の代表は、あいさつで「まだまだ勉強不足、戦争展で学んで帰りたい」と、どこまでも謙虚です。

桜丘高校生徒会平和委員会(私たちの平和委員会とは別組織)は、これまで取り組まれてきた「平和アンケート」や豊橋市議への「安保法制アンケート」などを報告、生徒たちは「18歳選挙権を前にして、大いに学ばなければならない」と語っていました。

「戦争展」はこのほかにも日中友好協会による「岸信介は満州で何をしたのか」や、「安保法制と70年談話」と題した長峯信彦愛知大学教授の講演など、」多彩な企画が催されました。

2015年のギャラリー


2014年8月9日~12日

あいち平和のための戦争展が、8月9日から12日まで名古屋市公会堂4階ホールで行われ、昨年を上回る1700人を超える市民が訪れました。
23回目の戦争展は、安倍政権の集団的自衛権の閣議決定が行われたもとでの開催となり、台風の悪天候の中でしたが市民の怒りの結集の場所となりました。

オープニングセレモニーでは、金城学院中学の生徒による空襲ピアノ演奏が行われ、また近藤一さんによる戦争体験を語るつどいでは、同朋高校の生徒が集まりました。
さらに名古屋三菱挺身隊支援する会の企画による韓国の高校生20人と日本の高校生が国際交流するつどいも行われ、多数の青年で元気ある場となりました。

戦後69年の月日が経過するもと、戦争体験や戦争の実態を伝える場は貴重となっており、各マスコミから報道され注目が集まりました。

平和委員会は、「安保体制と集団的自衛権」と題して、日本平和委員会製作のまんが横幕、自衛隊の移動訓練時の写真やパネルなどを展示しました。
開催期間中も会員拡大を重視し、会員1人、新聞読者2名を拡大しました。


2013年8月11日~14日

あいち・平和のための戦争展が、8月11日~14日まで名古屋市公会堂4階ホールで開催され、延べ1750人の市民が訪れました。今年は、1992年以来、22回目の開催となりました。
初日には、オープニング企画として「お帰りなさい空襲ピアノ68年を越えて甦る音色」と題して、名古屋空襲で被弾したピアノの演奏会が行われ、金城学院中 学生有志のみなさんが演奏と合唱を行いました。この企画は、被爆ピアノを所有し演奏会をおこなっている方が、名古屋空襲で被弾したピアノを所有していたこ とから実現につながったもので名古屋での演奏会ははじめてです。

金城学院中学のみなさんは修学旅行で被爆地広島を訪問し、そのとき被爆ピアノに出会い今回の参加となりました。中学生のみなさんが奏でる歌は、戦争展の会 場に響き渡り、戦争の加害と被害を展示する会場は時に重苦しい雰囲気を醸し出す中で、明るい雰囲気となりました。また平和への願いを想う凛とした中学生の 姿に、元気をもらいました。
ピースステージでは、戦時中の体験を引き継いでいこうと「戦争体験を語りつぐ会」が行われ、西区のお坊さん、学童疎開体験者、平和遺族会会員などが体験を 語りました。セイブイラクチルドレン名古屋は、「イラク戦争10年」と題してイラク人医師による講演会が行われ、高遠菜穂子さんが飛び入り参加するなど注 目を集めました。半田空襲と戦争を記録する会は、「新美南吉と戦争」と題して、平和と反戦の作品を出していたもう一つの「南吉の顔」を紹介しました。これ らの企画をはじめ、多彩な企画に取り組まれました。
平和委員会は、「自衛隊と安保」と題した展示をし、写真やパネルなども活用しながら愛知の基地の実態を告発しました。展示期間中も会員拡大を重視し、会員1人、新聞読者1名を拡大しました。


2012年8月12日~15日

 あいち平和のための戦争展が、8月12日~15日まで名古屋市公会堂4階ホールで開催され、延べ1700人の市民が訪れました。今年は、南京大虐殺についての河村発言が問われる中で開催され、また1992年来開催し21回目の開催となりました。
 ピースステージでは、田中優さんによる原発の学習会「原発に頼らない社会へ」、西谷文和さんによる「戦火の子どもたち~アフガニスタンからのレポー ト」、南守夫さんによる「河村市長の南京・大虐殺否定発言問題とその背景」、日韓学生による「日韓高校生の交流」、都相太さんによる「日朝平壌宣言10周 年」など多彩な企画で開催されました。
 県平和委員会は、「原発と安保」として展示しました。オスプレイの模型も展示しながら愛知の基地の実態を告発しました。また、テレビ画面で小牧基地関係の写真を映しました。

なお、日韓高校生の交流は「名古屋三菱・女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」の左右木さんに記事を寄せていただきました。

《日韓高校生の交流》
 「支援する会」が受け入れ体制をとり、企画内容を考えた日韓青少年交流企画が8月12日~15日に持たれました。
 韓国光州市の高校生と先生18人で名古屋市を訪れ、行動の一つとして戦争展の見学とピースステージの参加をしました。14日午後は「あいち平和のための戦争展」を見学し、被爆者から直接被爆体験を聞き、原爆の悲惨さを学びました。
 さらに、ピースステージ「歴史を学び未来を考える、日韓高校生の交流」に出演しました。そこでは、韓国の高校生からは勤労挺身隊被害者の、日本の高校生からは軍慰安婦被害者の証言を聞きに行った時の感想もそ
れぞれ語られました。
 竹島(独島)が政治的に問題化している中で、日韓青年交流のあり方を聞かれた時の高校生の意見は、学生同士の交流がそのようなことに影響されないということでした。
 被爆者の話を聞くことによって、被爆の悲惨さに驚き、投下に対する認識を改めたとの感想も聞かれました。